ご挨拶

時下益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。

この度、「九州地区総合技術研究会」を沖縄工業高等専門学校の主催で開催することになりました。本会の主催は沖縄高専にとっても大きな喜びであり、本校の技術職員を中心に教職員一同、力を合わせて準備を進めているところです。

「九州地区総合技術研究会」は、九州地区の国立大学法人や(独)国立高等専門学校機構に所属する技術職員の交流によりお互いの技術力の向上を目指しており、本研究会は平成23年度以来隔年開催の第4回目になります。本研究会では、各位の研究発表はもとより、担当している多様な実験、モノづくり、運用等における成功例や失敗談、今後の取り組み等の発表も行い、情報の共有化を図り、其々の課題解決に役立てようとするものであります。

今回は、「高専・大学における技術の未来」をワークショップのテーマに掲げ、将来における技術職員のモノづくりの在り方に関する熟議の場と考えております。現在、国家財政逼迫の中、運営交付金が縮減され、高等教育機関は国民の期待に沿う成果を挙げる事とともに、教育体制の改革も求められています。このような状況下で、本会にご参加の皆さんとともに、高専・大学における技術の未来や協働の在り方についての議論を通じて、組織の機能強化に関する意識の共有化を図ることがそれぞれの所属機関の改革につながるものと考えます。

本研究会が参加される技術職員の皆様方にとって実りあるものとなり、高等教育機関の責務である教育・研究・地域貢献の推進につながることを祈念しております。

沖縄工業高等専門学校長  安藤 安則

名護市、沖縄工業高等専門学校の紹介

 沖縄高専が位置する沖縄県名護市は、沖縄本島の北部にあり、東側は太平洋、西側は東シナ海に続く名護湾と羽地内海、北は豊かな自然が今なお残る「やんばる国立公園」(2016年に指定)の山々が控えていて、古くから沖縄本島の北部と中南部を結ぶ要所として栄えてきた街です。第二次大戦前は、商業・運輸業のほか、農業と山仕事が名護市(当時は名護町)の主な産業でした。大戦中は、中南部と比べて被害は少なかったものの、街は焼け野原になってしまいました。戦後、アメリカの占領下において、地域の産業は大きく変貌を遂げ、1959年からは価格補償されたサトウキビ・パイナップル栽培が大きく広がっていきました。さらにオリオンビール、琉球セメント、北部製糖、パイン工場などの近代的な大工場の立地が進みました。その後、市街地や幹線道路を中心に各種商店や事業所が立ち並ぶようになり、 1970年8月1日、名護町は、近隣の羽地(はねじ)村・久志(くし)村・屋部(やぶ)村・屋我地(やがじ)村と合併し、県下11番目の市として名護市が誕生しました。1972年には日本に返還され、2000年には名護市内のホテルで「九州沖縄サミット」の首脳会議も開催されました。

 沖縄高専はその名護市の東海岸にある辺野古区の丘陵地に建設され、平成16年(2004年)に55番目の国立高専として開校いたしました。本科は機械システム工学科、情報通信システム工学科、メディア情報工学科、生物資源工学科の4学科があります。また専攻科は、機械システム工学コース、電子通信システム工学コース、情報工学コース、生物資源工学コースの4コースからなる「創造システム工学専攻」があり、本科生および専攻科生を合わせると、約850名の学生が勉学や研究を行っております。校舎や学生寮からは青く広がる辺野古の海や空を臨むことができ、学生にとっては勉学に勤しむ絶好の環境ではないかと思います。

 今回の「九州地区総合技術研究会 in OKINAWA」では、「高専・大学における技術の未来」をテーマに、将来、技術職員が関わる技術のあり方について討論する場を提供し、情報共有を一層深化させる研究会となるよう考えました。発表形式はポスター発表のみとし、 さらにワークショップでは、テーマに沿ったパネルディスカッションを行い、今後の教育・研究現場における技術の動向、技術職員の役割、教員との連携も含めた活発な討論を場となるよう考えました。また、エクスカーションなどを通して、沖縄の自然・歴史・文化などにも触れて頂ければ幸いかと存じます。

平成29年度 九州地区総合技術研究会 in OKINAWA実行委員長 釣 健孝